大阪市阿倍野区の「阿倍野墓地」にある『長州藩死節群士之墓』(皇紀2673.9.26撮影)


★大阪市阿倍野区の「阿倍野墓地」にある『長州藩死節群士之墓』へお参りました。(皇紀2673.9.26)

「禁門の変」に敗れて、賊軍として幕吏から不当な扱いを受け「千日獄舎」で亡くなった長州藩の志士たちの奥都城です。明治維新後に名誉回復せられ、勤皇の殉難志士として御霊は靖國神社に祀られております。


禁門の変で敗れた長州藩士らは、敗走途中、大坂の桜の宮で高松藩兵に捕まり、多くが大坂の「千日前」にあった「千日獄舎」で獄死しました。その死体は「千日刑場」の横にあった骨捨て場に埋められましたが、明治維新後、名誉回復されて掘り起こされました。明治政府は、大阪の開発と発展を意図して千日刑場を廃止し、「千日墓地」を「阿倍野墓地」に移葬し、区画整理して歓楽街を作りました。それが、今の難波・千日前界隈です。 …なので、千日墓地にあったものの多くが、阿倍野墓地に移されているのです。

この碑の前方には、『(長州藩殉難者)顕彰碑』があります。(※全景はこちら)

大阪市天王寺区の「大江護國神社」には、山口藩殉難者の為の「招魂社」が建てられ、毛利元昭の揮毫による『舊山口藩殉難諸士招魂之碑』が建碑されております。「大江護國神社」の参道には『(山口藩殉難者)不滅碑』が建てられ、 皇紀2600年の記念事業として、「大江護國神社」が整備された由来が記されております。

所在地:大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋4丁目19番115号
最 寄:「阿倍野墓地(大阪南霊園)」内(中央南端部分)
形 状:石碑型
建立年:明治2年8月

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