ありし日の大阪市天王寺區「大江護國神社」の『不滅碑』(皇紀2653.9.20撮影)


★大阪市天王寺區「大江護國神社」の『不滅碑』にお参りしました。 (皇紀2653.9.20)

天王寺の「大江神社」の百壱段ある参道の階段を上ると中腹に脇道が整備されてゐる。「殉皇」「旌忠」と彫られた入口の標柱をくぐると、「大江護國神社」の社域に至る。 「大江護國神社」の名の「大江」は、如何にも毛利氏の祖先と所縁がありさうだが、これは偶然で、「大江神社」の脇に創建された「招魂社」の為に「大江護國神社」と呼ばれてゐる。

【不滅】
「光輝ある紀元二千六百年を迎へ、之が記念事業として元治甲子の役に際し、大義を體し王事を奉じ遂に節に斃れ難に殉せし勤王の烈士、旧山口藩出身、故宍戸久之進源知房命以下四十八柱の是等建國の大精神に命を賭けたる至情忠誠を、汎く天下に顕彰せんとし、本町会が運動を起し、天王寺区役所・戎警察署・天王寺市民館、並、日東・逢阪両小学校児童等の参加を得、爰に勤労奉仕と浄財を蒐めて参道を拡すると共に大江神社に通ずる石段を建設し桜樹を植へ、以て社領域を浄化整備したり。右縁由を陳べて記念とす。
昭和十五年二月十一日、大阪市天王寺区下寺町三丁目町会」

此の「招魂社」の左側には、明治23年に建てられた毛利元昭の揮毫による『舊山口藩殉難諸士招魂之碑』がある。
大阪市阿倍野區の「阿倍野墓地」には、明治2年に建てられた山口藩殉難者の「奥都城」と『(長州藩)死節群士之墓』があり、 その碑の前方には昭和31年晩春に長友会によつて建てられた 『(長州藩殉難者)顕彰碑』がある。

所在地 :大阪府大阪市天王寺區夕陽丘町5丁目40番地
最 寄 :「大江護國神社」内(「招魂社」左側)
形 状 :石碑型
題字揮毫:大阪市長坂間棟治
碑文並書:市立天王寺市民館長 前田貞次
発起人 :天王寺区下寺町三丁目町会会長津田為一郎
     副会長 山川米治郎
     顧問 前田貞次
石 匠 :塩路政吉

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