★私の母方の父方の先祖(1558-1620)の墓。

母方の祖父(母の父)は土佐出身なので、このお墓は高知にあります。

高祖父は、慶應4年(1868)、土佐「迅衝隊」に属して、戊辰戦争に出征し、国賊を征伐して功を挙げました。曾祖父は、明治28年(1895)の台湾征伐(征台之役)に出兵。祖父は、昭和12年(1937)8月の支那事変に際し応召出征し、高知歩兵第44連隊に属して勇猛果敢に戦い名誉の負傷を受けました。


…しかし、私が残念に思うのは、幕末から大東亜戦争末期に至るまで今の歴史雑誌や小説NHK大河ドラマの類は、国賊史観(…特に東京の出版社のものが酷い内容)、東京裁判史観、日教組の反日史観、司馬遼太郎の講談小説史観、左翼階級闘争史観で染められ真実とほど遠い歴史観が横行し全く悲しい限りです。


本当に命を賭けて勤皇に盡くし、国事に奔走したのは一体誰なんでしょうか?


間違っても、天皇陛下に弓を引き、皇胤を拉致して「東武皇帝」などと名乗らせ、国家転覆を謀み、果ては蝦夷共和国などという似非国家を作って反逆した国賊どもでは無いはずです。

「官軍」を「新政府軍」や「西軍」と言い換えたり、「朝敵」を「旧幕府軍」や「東軍」と言い換えたりする悪行は、支那・朝鮮の歴史捏造と全くやってることが同じです。

特に会津藩は、身分格差による階級差別が激しく、領民を暴政によって苦しめていたことは有名で、官軍が会津を平定に来たとき、領民は拍手喝采で迎へ入れた話は有名です。

にも関わらず、「官軍が、賊軍の死体の埋葬を許可しなかった」のだとか、虚偽を書く小説家や、歴史雑誌などで、「白虎隊」や「新撰組」が盛んにもてやされている昨今を見ると、暗雲たる思いで一杯となります。


先祖の名誉が虚偽の罪名で苦しめられている現状を、なんとしても、なんとしても晴らしていかなければ、私は死んでも死にきれません。


昨年の終戦記念日、私は京都の霊山護国神社での慰霊祭に昇殿参拝しましたが、すぐ隣の霊山歴史館では、国賊史観にどっぷりつかった展示内容で癸丑以来の英霊も呆れるであろうものでした。霊山護国神社の宮司さんはとても良い方だったし、加藤中尉のお元気なお姿も拝見出来て良かったので、対照的な展示を行っていた霊山歴史館は洵に残念でありました。…霊山には、龍馬や中岡慎太郎のお墓もあるのにねえ。悲しくなるよ。


ここに祀られている祖霊のDNAも日本開闢以来の盡忠報国・忠君愛国の精神も、私の常染色体の中に(かなり薄まってるでしょうが…)生き続けています。

(※ちなみに父系先祖の墓はこちらへ)

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