「天誅組の碑(碑陰)」京都霊山護国神社にて撮影


★【天誅組の碑(碑陰)】(皇紀2672.8.15)
大東亜戦争の対米開戦からはや70年を向かえます。本年の終戦日は靖國神社ではなく、京都の霊山護国神社へ参拝いたしました。

…その後、隣接する霊山歴史ミュージアムに行ってみましたが、国賊史観にドップリ浸かった展示内容にあきれて早々に退館、足は自然と龍馬や中岡慎太郎ら幕末の志士らの眠る霊山の墓地へ向きました。(うん、やはりこちらの方が清々しい気持ちになれます)

そういえば、職場の同僚で天誅組河内勢の子孫の方がいたなあと思いながら「天誅組の碑」を見て参りました。(碑の正面には彼の御先祖の芳名も刻まれておりました)

…そして、碑文を書き写して帰りました。

霊山歴史ミュージアムというのは、まあ観光目的の商売なので、こういう地味なものは特集することは無いんでしょうね。…だけど、本当に価値のあるのは、歴史小説やドラマや漫画で人気になったような半虚構の人物ではなく、本当に身命を捧げて国家に尽くした人のはずだけどなあと思いながら書き写して帰りました。


文久三年癸亥八月中山侍從始諸士義舉於大和國五條將欲
除國家之奸黨正天下之名分以恢張  神州之元氣即幕府
命諸藩大舉攻之烏合之陣乏兵食遂取敗戰死就縛數十人同
年十月同志士義舉於但馬國生野以應五條而五條敗生野亦
敗戰死就縛数十人両処首級檢之京都幕府廰其就縛者同四
年甲子二月十六日同七月廿日斬首獄内皆埋却於斷頭場傍
焉慶應三年丁卯十二月幕府奉辭其職而  王政復古
聖業大興明治二年己巳二月有  詔嘉永六年癸丑以来爲
王事隕命者賜地於霊山修招魂之祭典則某藩ニ或親族知友
請京都府捜索其首以葬於霊山同府権大属西野義上同少属
邨上快誠與同志相謀捜索五條生野各名来葬之首請之府ニ
能奨之則以合葬於霊山建此碑銘曰

 先人憤起、善盡忠誠、事雖不遂、義氣猶生、自有此舉
 奸黨恐驚、皇威愈熾、徳化日明、天賜此地、萬古顕名
 霊其能慰、欝ニ如城

明治四年辛未夏四月  従五位 山中献 撰 併書


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