★本日、映画『永遠の0』公開初日に鑑賞して参りました!(皇紀2673.12.21)
いやー、良かったです。
原作を知っている私とすれば、「あ、これが伏線となるな」というシーンで、早くも泣けてしまいました。
概ね原作に忠実な好感ある作品でした。
ただ、映画という時間制限のある枠組みの中に作られているので、映画を先に観た人は原作も読めばよりこの作品の良さが実感出来ると思います。
…ラストシーンが終わって、エンディング・ロールの後、誰からともなく拍手が起こりました。映画のあと、拍手が起こるなんて、最近の映画では中々あり得ない光景ですよね。
映画館が明るくなってから、辺りを見回すと、若い人が結構、多かったです。…高校生どうしで来ていた人も泣いてました。おばちゃんもオッサン(私)もみんな泣いてました。
この映画は日本人は必見の映画です!(*^^*)
【感想】
(ここからは、多少ネタバレしますので、映画を観た方、あるいは原作を読んだ方のみお読み下さい)
本作品は、戦争賛美の作品ではありません。中道(私)的観点から見れば、真ん中よりやや左よりに描かれていると思います。何故ならば、宮部久蔵という人物は、陛下のためではなく自分の家族のために戦った男であるからなのであります。この点が、通常の視点から見れば違和感があることでありましょう。
…そして、宮部久蔵という人物が家族のために生きて帰ろうとしたとしていることを知って彼の部下たちは揃ってがっかりしたとその時の感想を漏らすのであります。この「がっかりした」というのが将に、我々読者の視点と重なりあってしまうのであります。
作者の百田尚樹氏は、こういった「違和感」を、実に確信犯的に、そしてテクニックとして用いており、それは、正にピントの合わないレンズで見ていた画像が、序々に焦点が合っていくかのように物語が展開していくのであります。そして、作者は真ん中よりやや左よりの人物を主人公に描くことにより、「もっと、左より」の人物にも本作品を読もうとする興味をかきたてることに成功しているのであります。
個人的に印象深いシーンは、主人公・宮部久蔵が「こんな作戦成功する訳が無い!」と言った時に「士気が下がる!」と言って宮部を殴るシーンで、その時の上官の気持ちを慮って更に泣けてしまいました。…上官だって彼よりももっと戦局が厳しいのは分かっている訳です。そして上官だって、親もあれば妻も兄弟もあるんだろうし。彼にとっては部下は子供のように大切な存在なんだろうと思う。だから殴るんです(当時の価値観では)。
…しかも、上官って言っても彼が軍の総責任者じゃない。軍の中で言えば、せいぜい中の下か、下の上ぐらいの役回りなのに、一番言いにくいことを現場に落とさないといけない損な役割なんですよ。でも、宮部も部下がいるんで、そんな上官の気持ちも本当は分かっているんだろうな。
この映画は、そういう日本人の感性ならば、いちいち会話で説明しなくても分かる要素が随所に仕掛けられていました。…なので、日本人が面白いと感じても、外人がこれを観てそれが分かるかはわかりません。だけど、この日本的な感性って言うのは解説してしまうと面白く無いのです。解説しないのに分かるから面白いのです。
宮部が一度だけ休暇で、家に帰って来た時に、夫婦なのにお互い敬語で一見よそよそしく振る舞っているシーンなんかも、古き良き昭和のツンデレな愛情を描いていて実に良いのです。これが、アメリカ映画みたいに「ヘ〜イ!帰って来たゼ、ベィビー!」なんて抱き合ってキスしたりしたら、ドン引きしてしまいますよね。…だから、宮部がまた軍隊に帰って行く時に、妻が後ろからそっと身体を合わせ抱きしめて来た時に泣けるんです。
…いろんな意味で、左よりの人も右よりの人もノンポリも中道(私)みたいな人間も、日本人なら、み〜んなこれは観るべきだと思いました。
映画を鑑賞した後、色々お土産を購入いたしました。
クリアファイル、ストラップ、ボールペン、零戦五二丙型1/72模型、サザンの「蛍」のCDまで買ってしまいました(*^^*)
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