大阪 西区「土佐稲荷神社」の『祈の像』(皇紀2674.9.26撮影)
★大阪市西区の「土佐稲荷神社」にある『祈の像』へお参りました。(皇紀2674.9.26)
大阪市西区から出征された護国の英霊をお奉りした像です。
施錠された柵の中にあるため、柵外から頑張って碑文を読んでみると、碑文には、
「祖国のため、海に山に、また空に、
散華せし御霊を、
こゝに迎えて、我等、
かゝる國々のあらそいは、
これを終りとし、
永劫の平和と祈りて、
この像を建つ。
昭和32年9月 大阪西区遺族會」
とあり、脇碑には、
「永劫の平和を祈り、建立せられたこの像の
十周年記念式典にあたり、これを建てる。
昭和42年10月 大阪市西区遺族会。
歴代会長 高木粂吉、中川伊兵衛、森岡夏五郎。会長 横井茂。副会長 伊藤昇吉、竹之内佐吉。建設委員 竹原新二、田中安次郎、岡本亀太郎、杉浦吉之助、東勘太郎、宮田房吉、荒木清吉、畠元吉、日田兼治郎、長谷川正義、大島蕃雄、冨田文七、片山為三、大堀源次郎、尾田利一、小川喜代松、社地好松、桝谷清、中川ヨシ、笠松フジ、大西ヤヱ、中治よし、吉岡キヌ、篠原アキノ、津田ヨシヱ、岡田ヨシ子、石川アヤ子、竹田婦美、日高富美子、富士野花子。元区長 小久保勇。区長 渡清孝、府会議員 横倉喜一郎、市会議員 岡野正雄、井上長榮」とありました。
元々『忠魂碑』のあったものが戦後GHQの神道指令によって破壊されてしまった為、その場所に『忠魂碑』の代わりに建てられた『像』かもしれません。この近くの同じ北堀江の「和光寺」にも、西区から出征された護国の英霊をお奉りした『忠魂碑』があります。
また同神社内には、戊辰戦争の土佐迅衝隊(官軍)の初代総督である『深尾丹波成質』の寄進による石灯籠もあります。
所在地:大阪府大阪市西区北堀江4丁目9番7号
最 寄:「土佐稲荷神社」、鳥居外附近
形 状:人物像型(※柵あり・施錠あり)
揮毫者:正六位勲四等 大邨屯
建立年:昭和32年9月
建碑者:大阪西区遺族會
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