大阪能勢の妙見山の三角点に建つ『彰忠碑』(皇紀2673.9.23撮影)


★大阪能勢の妙見山の三角点に建つ『彰忠碑』にお参りして来ました。 (皇紀2673.9.23)

大阪能勢の妙見山の三角点(※「妙見宮」の中央附近にあります)に建つ『彰忠碑』です。立派な砲弾型の柵に囲まれた芸術的フォルムの彰忠碑です。上部には「南無妙法蓮華経」と書かれその下に「彰忠碑」と書かれております。


【碑陰】
明治二十七八年(日清戦争)、三十七八年(日露戦争)両役、致身君國之士、無慮万数。摂州妙見山為修法会挙弔祭遂建斯碑、以彰其忠焉。碑形寶塔。塔面書法華題目、遵蓮祖遺教也。塔腹納諸士姓名・肖像・事蹟等。裏成一幀者且以歳時啓扉供養永慰忠魂。庶乎後人益振武而興法矣。山之鑑督日懿上人属記図志于陰。

明治四十一年十一月、永坂周 撰並書。


【拙抄訳】
日清戦争と日露戦争では、身を捧げて国家の為に戦った方々が数えれないほどおられました。

…そこで、摂津の妙見山で、修法会をして慰霊し、この碑を建てて其の精神を讃えます。

碑は「寶塔」の形にして、「塔」の正面には法華の題目である「南無妙法蓮華経」を掲げて、日蓮上人の教えに則った形にしました。「塔」の中には散華され英霊となられた方々の御芳名・肖像・事蹟等を一緒に入れました。裏にある扉は、供養の慰霊祭の時に開き、永遠に彼等の精神を偲びましょう。

後世の人々が益々武を尊び法の教えが盛んになりますように希望します。妙見山の管主「日懿上人」の描いた図志(?)が裏面にあります。明治41年11月、永坂周 撰並書。



碑陰を読むと、この碑の中にはタイムカプセルのように、英霊の「姓名・肖像・事蹟」等を納めたと書かれており、ご英霊の写真なども一緒に入っているものだと思われます。

(写真左:妙見山の『彰忠碑』)
(写真右:『彰忠碑』の碑陰部分)

能勢には、妙力講による奉納砲弾もありますし、「野間神社」には機雷と砲弾を組み合わせて作られた忠魂碑があります。また隣接した地域には、川西市多太神社の忠魂碑や、池田市細川の細川神社にも忠魂碑があります。

所在地 :大阪府豊能郡能勢町野間中661番地
最 寄 :「妙見宮」内(三角点附近)
形 状 :仏教(日蓮宗)式 記念碑型(銅製・柵あり)
題字揮毫:陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵 奥保鞏
建立年 :明治41年11月
碑陰撰書:永坂周

■HOMEへ