兵庫県尼崎市の「西長洲八幡公園」にある『平和塔』(皇紀2674.9.10撮影)


★兵庫県尼崎市の「西長洲八幡公園」にある『平和塔』にお参りしました。 (皇紀2674.9.10)

この像の石質や台座の石などは新しいのですが、この像を囲む外枠の石は古いものなので、元々この場所には『忠魂碑』が建っていたものと思われますが、大東亜戦争の終戦後、GHQの神道指令によって破壊されてしまった跡地にこの『平和塔』が建碑されたものだと思われます。

碑陰「昭和20年6月1日第二次世界大戦ノ折、西長洲一帯焼土ト化シ、300余名ノ犠牲者ヲ出シタ。之等ノ霊ヲ慰メル為、此処ニ平和ノ塔ヲ建設ス。昭和37年8月15日。発起人 岩井庸、関山留三郎、中川定市、中田竹造、小寺眞一、松岡武司、後援尼崎市、石工高砂石材」

碑文「平和塔建立の由来。太平洋戦争末期 昭和20年6月1日午前10時尼崎市西長洲地区空爆死歿者300余柱の御霊を始め大東亜戦争に於いて戦死され靖國の神として祭祀されている19柱の御霊を此の平和塔に鎮め西長洲の里の平和の守護として建立す。昭和37年8月15日西長洲六人会。慰霊祭6月1日」 とありました。

隣接する「西長洲八幡神社」には、『報國塔』と、『八紘一宇遥拝碑』があります。

所在地:兵庫県尼崎市西長洲町2丁目15番8号(附近)
最 寄:「西長洲八幡公園」内
形 状:石像型
建立年:昭和37年8月15日
発起人:西長洲六人会(岩井庸、関山留三郎、中川定市、中田竹造、小寺眞一、松岡武司)
後 援:尼崎市
石 匠:高砂石材

■HOMEへ