橿原神宮(若桜友苑)の『航空母艦 瑞鶴之碑』(皇紀2673.8.7撮影)


★橿原神宮(若桜友苑)の『航空母艦 瑞鶴之碑』にお参りしました。(皇紀2673.8.7)

神武天皇の「畝傍御陵」と「橿原神宮」との中間あたりにある若桜友苑に『瑞鶴之碑』と『殉國之碑』が並んで建碑されています。


【碑文】
「歴史は太平洋戦争の殊勲艦として第一に航空母艦「瑞鶴」を挙げるであろう。
「瑞鶴」は、昭和16年9月25日艤装完了と同時に聯合艦隊に編入され、「ハワイ作戦」に参加した。

続いて、インド洋・サンゴ海・ソロモン・南太平洋・マリアナの各海戦に奮戦し、最後に「比島沖海戦」で困難な使命を果たしたあと、昭和19年10月25日、米艦上機群の猛攻のもと、ルソン島エンガノ岬沖に、その艦首を高々と挙げて艦歴を深海に閉ざした。

幾多の海戦で「瑞鶴」から発艦して任務に殉じた搭乗員諸君。「瑞鶴」の最期と運命を共にした貝塚艦長ほかの乗員諸君。また「瑞鶴」につらなる戦歿者諸君。かつて「瑞鶴」に乗り組んだ我々戦友は「瑞鶴会」を組織し、有志を募つて「慰霊碑」を建立した。

諸君は一命を捨てて守ろうとした祖国日本の行方を「橿原神宮」に続くこの聖地から末ながく見守りたまえ。この碑に参ずる将来の人々は諸君の犠牲の忠魂を知つて後世に伝えられよ。

昭和56年10月25日」



瑞鶴は、海軍の航空母艦で「マリアナ沖海戦」迄は一発も被弾することの無かった幸運艦として知られております。瑞鶴の沈んだ10月25日は、毎年この場所で慰霊の「みたま祭」が挙行されているとのことでした。また、この碑の左横には、瑞鶴のマストの形を復元した碑が建立されております。

畏くも人皇初代神武天皇の御陵と橿原神宮の間に位置し、正面に畝傍山を拝する清き地にお奉りされて英霊もさぞ平らけく安らけく鎮まれておられることでありましょう。塵一つ無い、静寂とした空間が広がっておりました。


ありし日の航空母艦『瑞鶴』の勇姿はこちらへ。

毎年10月25日に橿原神宮の若桜友苑で挙行される航空母艦『瑞鶴』の慰霊祭はこちらへ。

毎年2月11日に挙行される橿原神宮の『紀元祭』はこちらへ。

所在地:奈良県橿原市久米町934番地(附近)
最 寄:神武天皇の「畝傍御陵」と「橿原神宮」との中間あたり
形 状:石碑型(横型)
建立年:昭和56年10月
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