橿原神宮(若桜友苑)『航空母艦瑞鶴慰霊祭』(皇紀2673.10.25撮影)


★橿原神宮(若桜友苑)『航空母艦瑞鶴慰霊祭』に参列しました。(皇紀2673.10.25)

本日は航空母艦「瑞鶴」の沈没から69年目の節目に当たる日であります。
川崎重工業神戸造船所で造船された「瑞鶴」は、昭和14年(皇紀2599)11月27日進水し真珠湾攻撃へも出陣しました。その後、数々の輝かしい戦果を挙げ戦線をくぐるも沈没することなく働き続けたので「幸運艦」との異名を持っておりました。

しかし、時あたたかも戦雲厳しく、遂に昭和19年(皇紀2604)10月25日14時14分頃海中に沈みました。その時の様子は、『軍艦瑞鶴戦没者並びに物故者慰霊祭』の式次第の一文によれば、

「瑞鶴」は、昭和19年10月17日、捷一号作戦の発令により特別機動艦隊旗艦として「瑞鳳」・「千歳」・「千代田」の航空母艦、戦艦「伊勢」・「日向」・軽巡「大淀」外1隻、駆逐艦8隻と共に瀬戸内海より比島方面に出撃、同年10月24日、米国 機動艦隊を攻撃、同艦隊を引き付けるために行動し、翌25日午前7時45分頃より米軍機の大群と交戦、壮烈な死闘が繰り広げられました。敵機 延べ527機の攻撃を受け「瑞鶴」は航空魚雷および直撃爆弾各7発の命中により航行不能となり貝塚艦長の総員退去の命により軍艦旗を降下、午後2時14分頃僚艦「瑞鳳」・「千歳」・「千代田」と共に比島沖海底深く姿を消しました。「瑞鶴」の生存乗組員は、同日夕刻頃駆逐艦「若月」に救助され、翌日、奄美大島海峡にて戦艦「伊勢」・「日向」に転乗し呉軍港に帰港した。

との由であります。「瑞鶴」が沈没する前に艦上軍旗を降ろす際に甲板に居る兵士たちが一糸乱れぬ姿で、軍旗に向かって直立不動で敬礼している写真はつとに有名ですが、これは将にこの瞬間の写真なのであります。橿原神宮の「若桜友苑」では毎年この「瑞鶴」の沈没日時に合せて『航空母艦瑞鶴慰霊祭』が挙行されております。

諄詞奏上は大変長く、航空母艦「瑞鶴」の由来・戦歴・沈没の経緯を累々と大和言葉で述べたものでした。大正琴で「海ゆかば」の調べが流れるなか、我々参列者一同は起立して、散華されました英霊に哀悼の洵を捧げました。颱風襲来の前とあって雨天のさなかではありましたが、こうして滞りなく慰霊祭はしめやかに挙行せられました。


ありし日の航空母艦『瑞鶴』の勇姿はこちらへ。
橿原神宮の若桜友苑の『瑞鶴之碑』はこちらへ。

毎年2月11日に挙行される橿原神宮の『紀元祭』はこちらへ。

所在地:奈良県橿原市久米町934番地(附近)
最 寄:橿原神宮(若桜友苑)『瑞鶴之碑』前(「畝傍御陵」と「橿原神宮」との中間あたり)

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