大阪平野 満願寺『中山忠伊卿自刃伝説の故地』(皇紀2673.8.2撮影)


★天忠党『中山忠伊卿自刃伝説の故地』探訪(皇紀2673.8.2)

中山忠伊(ただこれ)卿は光格天皇の第六皇子で、大納言・中山忠頼の猶子となり暫時中山姓を名乗った武生宮長仁親王(雅号:道春)であるとされる。中山忠伊卿は、光格天皇の志を受け継いで討幕の義挙を志し、義弟 中山忠能の七男・中山忠光を主将とする『天誅組』の結成を指示したがその志なかば、幕府の手によって壊滅させられ、その身も幕吏に追われ、この地附近に潜居するも遁るを得ず、この地附近の坂上民部邸にて自刃した。…その3年後、討幕の志は実を結び明治維新を迎えた。忠頼の子で忠能の次女慶子が明治天皇の実母である。

辞世「今日かぎり、平野の露と消ゆる身も、心に懸かる国の行末」

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さて、筆者は最近、忠伊卿の直系御子孫にお会いする機会を得た。お話しをお伺いしたところ、碑文の記載内容に数箇所誤りがあることに気づいた。

まず「天誅組」と書かれているが、正しくは「天忠党」である。「天忠党」とは「天誅組」の結成を指示する指令を出したとされる天誅組の上部組織の秘密結社でその総督が中山忠伊卿であるとのこと。…なので広い意味では「天誅組」であるが、正しくは「天忠党」であるそうだ。

第2に「光格天皇の第二皇子」と書かれているが、正しくは「第六皇子」であるとのこと。但し庶出の為、親王宣下を受けおられないので正確には「親王」ではない。

第3に忠伊卿の墓は大阪 桑津の見性寺にあり、この満願寺にはない。(初めここに自埋葬されのちに見性寺に改葬されたとの説もある) 自刃の場所がこの附近であった為、菩提所として位牌が奉られているのである。

第4に碑文に「忠頼の父、忠能」と書かれているが正しくは「忠頼の子、忠能」か「忠伊の義弟、忠能」と書かなければ文意が通らない。

忠伊卿の嫡男・中山忠英は、明治になって「大日本皇道立教会」を設立した人物である。


所在地:大阪府大阪市平野区平野宮町1丁目9番14号 満願寺
参考文献:『維新秘話中山忠伊公:天誅組外伝』水郡庸皓著(1983.7)

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