兵庫県西宮市の「鳴尾八幡神社」にある『慰霊塔』(皇紀2673.9.29撮影)


★兵庫県西宮市の「鳴尾八幡神社」にある『慰霊塔』へお参りました。(皇紀2673.9.29)

兵庫県西宮市の「甲子園球場」の近くにある「鳴尾八幡神社」に建つ『慰霊塔』です。軍艦「安芸」の砲身がそのまま「慰霊碑」となっており、先端には「金鵄」がとまった斬新なデザインであります。(※京都府与謝郡与謝町の「岩滝保育園」にもこれとそっくりな形状の『忠魂碑』があります) 鳴尾出身の日清・日露・支那事変・大東亜戦争のご英霊をお奉りしております。(※西宮市の「JR西宮駅」北方には戦後に再建された『殉國碑』があります)


【慰霊塔由来】
「日清・日露及び太平洋戦争における鳴尾村関係・戦歿者500有余柱(※公式HPや神社のパンフレットでは「日清・日露戦争(英霊数不明)、大東亜戦争の英霊690柱」とある)の英霊を此処に祀る。

尚、塔の尖塔部の砲身は、明治44年広島呉工廠において、カーチス式タービンを最初に搭載した戦艦「安芸」の砲身です。
戦艦「安芸」は、全長140.2m、出力2万5千馬力、速力20ノット、主砲は30cm砲4門、魚雷発射管5門、片舷30cm砲4門、25cm砲6門を装備していた。
戦艦「安芸」は、大正12年、ワシントン軍縮條約の結果、標的艦となり、砲身等撤去後、翌13年9月6日、戦艦「長門」及び「陸奥」の研究射撃により、野島崎沖合いおいて海底に没す。射撃時間17分」


ちなみに戦前は「慰霊塔」では無く「忠魂碑」と書かれていたらしい。そして、戦時中の金属供出の時、「鳴尾八幡神社」にも供出の負担分があったが、忠魂碑は日本人の誇りであるという理由で供出を免れ、代わりに神社にあった御神馬の銅像の2体を供出したそうである。(※現在は御神馬の台座の上に、戦後に再建された御神馬の銅像が1体のみ建っている)


…そして、参道を進んで拝殿へ行こうとした時、なんと
『鳴尾八幡神社』廃祀のお知らせが!!

  
え〜〜!!!! 550年も続いた神社が無くなってしまうのでしょうか!??? (つづく)

所在地:兵庫県西宮市上鳴尾町14番地21号
最 寄:上鳴尾「八幡神社」参道西側
形 状:軍艦「安芸」の砲身実物を奉納

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