高知市鷹匠町(柳原)『義勇奉公碑』(皇紀2674.11.8撮影)


★高知市鷹匠町(柳原)にある『義勇奉公碑』へお参りました。(皇紀2674.11.8)

高知市柳原にある『忠霊塔』の脇にある『義勇奉公碑』です。

「山内神社」の西側にある「高知市柳原分館」の西隣にあります。

忠霊塔』は、今となっては『高知縣護國神社』ほど有名ではないかもしれません。

『義勇奉公碑』は、現在は碑の右上部が欠損して、題字が『勇奉公』となっております。欠損した片割れは背後に写っているものです。欠損面を見ると欠損してから修復されず、かれこれ相当な年月が経っていることが分かります。

幸いにもこの碑文の内容は諸書に引用されている為判明しております。

【碑文】
「嗚呼、討露之役、實爲千古大役。吾市、興是役者、六百餘人。皆忠勇奮闘。不辱為干城者、其陣歿者、百三十有八人。其将校以下百有九人。ト葬地于柳原。爲共同塋域。置守塚一人。永供洒掃焉。抑 皇威赫赫、震耀乎宇内者、實基於討清討露之二役。

而二役、以討露最爲大。皆出於國家自衛之不得已也。廟謨適機宜。國民咸感激懐義憤。軍兵皆有進死、無退生之心竟。能得奏此巍巍偉勲人、誰不景仰之乎茲。兵事會相謀、請乃木陸軍大将題額。又、勒、文石。以示于不朽非獨為陣歿者亦将有所勵後人。

明治四十年九月 西森真太郎撰併書」


とあり、先に挙げた、昭和16年6月に高知市長 川淵洽馬が整備した『忠霊塔』の脇碑と同一の主旨のことが書かれいるのが分かります。

恐らく、昭和16年の頃には既に欠損していて、この碑を修復する代わりに整備して先ほどの新しい碑を建てたのだと思われます。


『忠霊塔』の脇にある『殉國戦歿者霊名碑』には、高知市から出征されて散華された御祭神の御芳名が刻まれておりました。


高知市には、『高知縣護國神社』や、その近隣の「吸江寺」にも護国の英霊を慰霊する為に建てられた『吸江寺 慰霊パゴダ』があります。

所在地:高知県高知市鷹匠町2丁目5番7号(西隣)
最 寄:「高知市柳原分館」(西隣)・(※鏡川の「柳原橋」の北詰の西側にあります)
形 状:自然石型
建立年:明治40年9月
題字揮毫:陸軍大将 乃木希典
碑文撰者:西森真太郎

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