靖國神社の弔旗(皇紀2671.8.15 撮影)


【忠魂碑参拝と慰霊の旅】(皇紀2668年6月〜)

★日本人は、皇国の為、天皇陛下の御為に一命を懸けて忠義を盡し、それによりて殉ずることあらば、その神霊は護国の神として永遠に靖國の社に祀られ、尊崇されて、例大祭には天皇陛下の御親拝を受け奉ることを無上の名誉とする民族であります。…反対に、「ただ己れの欲望のままに個人主義・利己主義に生きて安穏と歳を重ね、畳の上で死ぬ」ということを何よりも恥とする民族でもあります。

皆様は自分の住んでいる地域の【忠魂碑】が何処にあるかご存知でしょうか?

調べてみると、普段何気なく通っていた場所の近くにあったりするものです。

   場所が分かったら一度、お参りされてみて下さい。

今、我々が平和に暮らせるのは、その方たち英霊が日本を護る為に身を捧げて戦われたおかげなのであります。

嘉永6年(2513)以降、国事に奔走され殉じられた英霊は、国にありては「靖國神社」、都道府県にありては「護國神社」、そして市町村にありては「忠魂碑」に奉祀されておられる訳であります。たとえ肉体は朽ち果てても魂は、「護国の鬼」すなわち「神」と成らせられて、国土・郷土・そして我々を永遠にお守りになっておられる訳であります。

特に先の大東亜共栄圏建設の為の聖戦におかれましては、何百年にも渡る白人勢力たちによる植民地支配からアジアを解放し、アジア社会の新秩序建設の為に御尽力され、正義の戦いを勇猛果敢に戦われて、志なかば、はかなくも散華された英霊が多数おられます。

今は英霊となられた御祭神の多くは、郷土の代表として皆の期待を背負って送り出され、ただひたすら国難に立ち向かわれ、海ゆかば水浸く屍、山ゆかば草生す屍、空ゆかば雲染む屍と、一身を懸けて生涯を終えられた方々であります。

我々が平和に過ごせるのも彼らの尊い命を捧げた戦いがあったからに他なりません。彼らは決して命を軽んじていた訳ではありません。今の我々が感じるよりももっともっと大切なものが何かを分かっていた方々なのです。

そして、先人たちの生き方を顕彰して学び、その精神を継承することが、みたまを平らけく安らけくお奉りすることにつながるのではないかと私は考えております。


かつて、連合国軍が『靖國神社』を破壊し「ドッグ・レース場」にしようとした時、ローマ教皇庁とのつながりの深いブルーノ・ビッター神父(Bruno Bitter)は、「いかなる国の国民も、祖国のために身命を賭した人々に対して、尊敬を表し感謝を献げることは、大切な義務であり、また権利でもあります。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」と発言し、『靖國神社』を破壊から救いました。

国内法においては、国会で社会党も共産党も含めて「日本国内に過去も現在も戦犯は存在しない」と全会一致の決議を以って地位が確定しております。

…にも関わらず、現在多くの「忠魂碑」は、地図にも載らず、史跡としても紹介されず、市町村のHPにも載せられず、学校教育でも教えられることなく、慰霊祭を行われることも無く(…あるいは、ひっそりとしか行われておりません)、草生す中に時間が止まったかのように取り残されております。

私が訪ねた数々の「忠魂碑」の中には、まるで罪人を牢獄に閉じ込めたかのように、フェンスで囲まれて近づくことも出来ないような有様になっているものもありました。…そんな中、我々の心の慰めとなるのが、靖国神社、護国神社で挙行される「戦歿者慰霊祭」や「みたま祭り」が現在も連綿と執り行われていることであります。

今までfacebookでコツコツ書いて来た内容をまとめ、一人でも多くの方が国家に殉じられた英霊に興味を持って頂けたらという思っております。
(※サイト内の写真は総て私の撮影によるものです。無断使用禁止)

むすびに私の心に残る句を一つ、


  散 る 桜、 残 る 桜 も 散 る 桜 (良寛和尚)


最後まで、お読み下さいましてありがとうございました。


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