★東京裁判は国際法を無視した報復裁判である。

【A級戦犯】と言ふ言葉を私は使ひたくありませんが、「所謂A級戦犯」といふ言葉で暫時、此文を進めると致しませう。さう申しますのも「戦犯」といふ言葉で〆めくゝられてしまうとだふにも、これが結論のやうに受け取られて始末が悪いのであります。東京裁判につひては先に述べるところでありますが「戦争犯罪人で有るか、無いか」とは、結局【東京裁判を如何に考へるか】といふ問題に帰着するのであります。

それでは、果たして東京裁判は「正しい裁判」だつたのでありませうか。

そもそも戦争は国際法の上から見て合法的な手段であると広く認められておりました。クラウゼヴィッツがかの有名な【戦争論】の中で「戦争は形を変えた政治的手段である」と申しておりますやうに、戦争といふ行為は容認され、国家に与へられた基本権なのであります。

ただその中で、戦争の手段・方法は、人道的見地からハーグ陸戦條約等の規定によつて法的に規制をされておりました。当時、【交戦法規(軍法)】違反として禁ぜられてゐたのは、例へば、非戦闘員(民間人)の殺傷、非防守都市(所謂オープン・シテイ)乃至、軍事目標外(民家)への攻撃、過剰に残虐な効果を齎す兵器(大量破壊兵器・毒ガス・細菌兵器等)の使用、捕虜への虐待等であり、戦争を「計画・準備・遂行をすること」などの戦争行為自体は全く違法ではありません。

つまる処、「戦争犯罪人(戦犯)」の意味とは、戦争を提起した(とされる)人物を差すのでは無く、交戦法規(軍法規律)に違反した者のことであります。

所謂【A級戦犯】とは、「平和に対する罪」といふ当時存在しなかった罪状(事後立法)を以つて裁かれた冤罪の人々であつて、間違つても犯罪の等級として、A・B・Cなる序列があつて、Aが一番重いといふやうな罪で裁かれた人々ではありません。

彼らは、玉体の安寧を願い、日本民族を滅亡から守る為に、自存自衛の為に勇猛果敢に戦い、そして自らが国家の身代わりとなつた尊い志の士なのであります。

今日我々が平和に過ごせるのも、彼らおかげであることを忘れてはなりません。
そして、我々は国家的規模の裁判に於ひて冤罪のまま不利な判決を強いられ今日に至っている事実を忘れてはなりません。

■HOMEへ