京都 霊山護國神社『清掃奉仕』と『戦歿者慰霊祭』昇殿参拝(皇紀2676.1.17撮影)


★京都 霊山護國神社『清掃奉仕』と『戦歿者慰霊祭』昇殿参拝(皇紀2676.1.17)

本年も年初の1月17日は、「京都霊山護國神社の清掃奉仕の会」代表・山中浩市先生たちと一緒に、霊山の清掃奉仕を(*^^)b

私の母方の父方は土佐藩の出身で、高祖父は幕末・土佐「迅衝隊」として戊辰戦争を戦いました。『霊山護國神社』は、坂本龍馬・中岡慎太郎の奥津城へ参拝される方は多いので、そちらは良く手入れされているのですが、そのすぐ下にある『旧土佐藩招魂社』は、寂れていて、枯枝や落ち葉が一杯。

昨今は、歴史雑誌でも「佐幕派」や「新撰組」ばかりが取り上げられ、「勤皇の志士」や「官軍」側が取り上げられることは滅多にありません。錦の御旗に弓を引いた、旧幕軍の戦没者慰霊祭は盛大にされているそうですが、大御心を奉じて戦った「官軍」英霊の墓地は、ひっそりとして、見るに忍びない状況です。…なので、本日はこの辺を清掃奉仕。屋根の上に鳥の糞がいっぱい落ちたままになっていたのも雑巾がけして綺麗にいたしました(*^^*)

霊山の清掃奉仕のあと「霊山護国神社」に昇殿参拝。

慰霊祭で久しぶりにお会いした人々。古い知り合いもちらほら白髪になっていて吃驚。
…まあ、人のことは言えません。私もスッカリ、オッサンの仲間いり。たった5年前でも、スマホも無かったし、時代の流れを感じます。

本年も式次第を読み上げられたのは、加藤昇 海軍中尉(数え年94歳)。加藤中尉は、昨年と同じように「天下泰平国土安穏」を願った謡曲「四海波」を奉納されました。(ちなみに、昨年の「新春戦歿者慰霊祭」はこちらです)

慰霊祭は本年も粛々と挙行され、護国の英霊を追悼し、皇国の弥榮を祈念いたしました(*^^)b

その後、「日本歴史文化研究会」による講演を齋殿で。

加藤昇帝国海軍中尉の講話を拝聴。

そして、その後は祇園の「牛禅」で、保守の新年会。「牛禅」と言えば、そのむかし、「マハラジャ」のあった処。そこで、皆様と本年も新年会。昨年末〜新春と今年も多くのご縁を賜りました。弥榮弥榮(*^^*)

(写真上)戦歿者慰霊祭。
(写真左中)朝の清掃奉仕の様子。今年は暖冬で助かりました。
(写真右中)こちらは私が清掃した「土佐藩招魂社」。
(写真左下)慰霊祭のあと、齋殿で加藤昇 海軍中尉の講話を拝聴。
(写真右下)こちらは、清掃奉仕のあと、皆様と神田川俊郎さんのお店「花かがみ」でお食事(*^^*)

所在地:京都府京都市東山区清閑寺霊山町1番地
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