兵庫県伊丹市の「鴻池児童遊園地」にある『鴻池稲荷神社』(皇紀2674.9.10撮影)


★兵庫県伊丹市の「鴻池児童遊園地」にある『鴻池稲荷神社』にお参りしました。 (皇紀2674.9.10)

江戸時代の豪商・鴻池家の発祥の地(屋敷跡)が、後に稲荷神社の敷地となり、今は児童公園となっております。

鴻池家の由来を記した碑が『鴻池稲荷神社』の傍らにあります。

この碑は、支那の古代貨幣である「布貨」の形をした石で、亀趺(亀形の台座石)の上に建てられています。碑の撰文は大坂・懐徳堂の教授であった中井積徳(履軒)で、建碑年は天明4年頃とされております。

碑文の大意は
「鴻池家は酒造で財を成し、慶長5年より200年余りも続いている。
初代は幸元(ゆきもと)で山中鹿之介の子孫であると言われている。鴻池家は、初めて清酒諸白(もろはく)を製造し、江戸まで出荷した。近隣の池田・伊丹・灘・西宮などでは鴻池家にあやかって酒造業を興した者が数百軒にものぼる。

鴻池家の屋敷の後ろには大きな池があり、これを「鴻池」と言った。これはやがて村の名ともなり、その名前を大坂の店の屋号に用いた。鴻池家が酒造業を始めた年、屋敷の裏に稲荷の祠を祀って家内安全を願った。幸元の子供たちの内、大坂で分家した者は三家。そこからさらに九家が分かれた。大坂の鴻池家の富は今や莫大である。

宝暦13年の秋、台風がきて稲荷の祠が壊れた。20年後、当主たちが集まり「先祖の遺徳を忘れてはいけない。祠を再建する費用は僅かであるが、一人が出せば、他の人は先祖の恩徳を忘れてしまう。そうならないように皆で出し合おう」と言うことになった。

天明4年に祠が復旧されたとき、これらの事情を総て石に刻んで残そうということになり、幸元から数えて7代目の当主・元長の子・元漸(もとやす)は、自分(中井履軒)の弟子であったので、元漸の依頼によってこの銘を撰じた」とあります

近くには、『清酒発祥の地』の碑もあります。

所在地:兵庫県伊丹市鴻池6丁目14番地(附近)
最 寄:「鴻池児童遊園地」内
形 状:祠

石碑建立年:天明4年頃
撰 文:中井積徳(履軒)
形 状:「布貨」形石碑、亀趺
建碑者:鴻池元長(第7代目当主)、以下鴻池家子孫一同

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