★Y染色體多型からみた日本人の成立

Michael F. Hammer1, 寶來 聰(1アリゾナ大學)

Y染色體上の非組み換え領域にある4つの遺傳子坐に關して、日本人3集團(沖繩・靜岡・青森)と臺灣の支那人で遺傳子型を決定した。Y染色體上のAlu配列の插入多型であるYAP因子は、日本人では「42%」に存在したが、支那人には見られなかつた。此の事により、YAP因子が亞細亞に於て不規則な分布をしてゐる事が明らかと成つた。

Y染色體上の4つの遺傳子坐で得られたデータより、集團間の遺傳的距離の推定、Y染色體のハプロタイプの構築により集團内の遺傳的多樣度および各ハプロタイプ間の多樣度を檢討した。Y染色體ハプロタイプの進化學的解析により、YAP (DYS287) 坐とDXYS5Y坐の多型はただ1囘の起源を持つのに對し、DYS1坐の多型およびDYS19坐に於るマイクロサテライトの對立遺傳子群は1囘以上の起源を持つことが示唆された。遺傳的距離の解析により、沖繩の人は本土の日本人とは遺傳的に離れてゐる事が明らかと成つた。此の事は、現代日本人が繩文人及び、朝鮮半島或は支那大陸本土からの移入民である彌生人からの異なる遺傳的寄與を受けた結果であり、また沖繩の人は彌生人とは殆ど混合する事はなかつたと云ふ假説を支持する(※八重山等、沖繩南部に於ては此の限りでは無い)。YAP(+)染色體は繩文人により齎され,YAP(−)染色體の流入は彌生人の移住により齎されたと考へられる。詳細は,文獻11に發表した。


男の祖先・女の祖先のDNAで日本人のルーツを探る

父から息子へ、母から子へ。
日本人のルーツに就いては明治以來樣々な論議が行はれてきた。然し、殘念なことに純粹に科學的な議論が行はれてきたとは言ひ難い。
政治的・イデオロギー的に「かうあつてほしい」或は「かうあつてはほしくない」と云ふ感情に理性が押し流され「信じ度い事を信じる」科學とは無縁の「學説」が公然と大手を振つてなされてきた。然し、最近に成つて生物の設計圖であるDNA(デオキシリボ核酸deoxyribonucleic acid)によつて日本人のルーツを探る事が出來るやうに成つた。

DNAは細胞の核および細胞内の小器官であるミトコンドリアの中に存在する。DNAは遺傳暗號を書き記した文字である4種類の鹽基(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン)が延々と竝ぶ長大な分子で、A-T、G-Cが對に成る形で2本のDNAが螺旋状に成つて存在してゐる。核のDNAは細胞が分裂するときに小さく折り疉まれいくつかの固まりと成つて分かれる。此れを染色體と云ふ。此の中に性染色體と呼ばれるものが一對ある。男性の場合だとXY、女性の場合はXXと云ふ組み合はせに成る。したがつてY染色體を形成するDNAは父から息子へと遺傳していく。此れに對してミトコンドリアのDNAは母親から子(男女兩方)へと受け繼がれていくのである。

「繩文男」と「彌生男」
男性には「繩文系」と「彌生系」があると云ふ。Y染色體は、睾丸や精子の形成にかかはつてゐる。Y染色體に書き込まれた文字數は6000萬個に上る。他の染色體に比べて、Y染色體の多型は極端に少なく、凡そ200カ所見つかつてゐるが、Y染色體のDNAのある特定の場所に插入された、凡そ300の鹽基からなる『YAP』(ヤツプ)と云ふ部分がある。

中堀豐・徳島大醫學部教授らの研究グループによれば、Y染色體のYAP多型は東亞細亞では日本人にしか見られず、昔から日本にゐた人たち特有のものと考へられてゐる。日本人で數パーセント見いだされ、其れもアイヌ人、沖繩人で頻度が高い。寶來聰教授の研究では、アイヌ民族の88%にYAP+がみられると云ふ。

ところが、朝鮮半島を含むユーラシア大陸でも、此の突然變異の遺傳子は殆ど見つからず、日本以外で唯一見つかるのは西蔵だけであると云ふ。世界的に見ても其の他には黒人にしかみられない變はつた遺傳子型である(※實際には一部の白人にも見られる)。

此のことから、ヤツプがあるのが繩文系男性、ないのが彌生系男性と判斷出來る。東亞細亞人で4タイプに分かれ、日本人男性も「タイプ1」から「タイプ4」まで4つに分けられる。中堀教授らの研究グループは、1999年にY染色體にあつて胎兒期に睾丸を作るやう命令する「SRY遺傳子」の465番目の鹽基が、人によつてC(シトシン)かT(チミン)かの違ひがある「多型」である事を發見した。中堀教授は<1>ヤツプの有無<2>SRY遺傳子の465番目の鹽基がCかTか<3>DXYS5Yの鹽基の違ひと云ふ、Y染色體中の3つのDNAの型をもとに、日本人の男性を繩文系と、タイプの異なる3つの彌生系の4つに分類した。  YAP+タイプ2の集團は、都市部では北から南まで均等に分布し、金澤、福岡、大阪、札幌のいづれで調べても、人口の約25%程度を占める。然し本州や四國の山間部では5割を占めてゐた。彌生人に追はれた繩文人と云ふ通説にほぼ合致する結果である。  日本の男性は1萬年以上前から日本列島に住んでゐた繩文人、繩文時代後期に大陸や朝鮮半島から移住してきた彌生人にルーツを持つてゐるのである。ついで乍ら、中堀教授らのグループの研究によれば、繩文人の系統とされる「タイプ2」の男性の精子數は、彌生人系より2割以上も少なく、2〜4倍も無精子症に成りやすいと云ふ。

母親の系譜
寶來聰博士などの研究グループは、いままで、外見の特徴から白人に由來すると考へる研究者さへいたアイヌの人々のルーツを探るため、1960年代に採血された血液からミトコンドリアDNAを分析し、更に、繩文の人骨5體のミトコンドリアDNAを分析して、アイヌのルーツが繩文人である事を突き止めた。

更に、東亞細亞の5つの集團のミトコンドリアDNAを分析し、日本人の成り立ちを調べた。其れによると、本州では、日本人固有のタイプは4・8%、其れに對して韓國人や支那人と共通の配列を持つ人が凡そ50%に達し、アイヌや沖繩と共通のタイプを持つ人が4分の1であつた。現代の日本人が北亞細亞人、特に韓國人に尤も近い遺傳的類似性を持つてゐる事を確認した。此のことは、彌生時代以降に大陸や半島から日本へ遺傳子の擴散が生じたとする從來の説と一致する。更に、寶來博士らは太平洋を隔てたアンデスの先住民が、日本のアイヌや沖繩の人々と非常に近い事を示したのである。詰り、1萬2千年前に日本列島に移動し、繩文の文化を築いた集團がゐた。其れから1萬年後、別の集團が再び日本列島に渡つてきて彌生文化を築いたのである。

最近の研究では、繩文集團も決してひとつではない事が分かつてきた。沖繩と、アイヌの人々のDNAを較べると、少なくともひと文字は違ふのである。此れは其れぞれの祖先が、日本列島に渡つてきた當時から既に別の集團だつた事を示してゐると云ふ。

外國の場合
今日の歐羅巴人をミトコンドリア遺傳子で見ると、20%がアナトリア(現トルコ共和國の亞細亞部分)の農民由來で、Y染色體遺傳子でみると、22%が同樣にアナトリアの農民由來だと云ふ。殘りの約80%は4萬年前から1萬年前にかけて歐羅巴に進出した狩獵採取民の遺傳子だと云ふ。アナトリアの農耕民が先住の民族を征服した結果、歐羅巴に印度・歐羅巴語と農耕が傳はつたのである。

等等、興味深い内容であつた。上記はこちらのサイトより抜粋したものである。


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