大阪市北区の「龍海寺」にある『大村兵部大輔埋腿骨之墓』(皇紀2673.9.27撮影)


★大阪市北区の「龍海寺」にある『大村兵部大輔埋腿骨之墓』にお参りしました。(皇紀2673.9.27)

明治2年9月4日京都で賊徒に襲われた「大村益次郎」は、同10月2日大阪の「陸軍病院(現 国立病院大阪医療センター)」に入院し治療を受けるが、敗血症を併発し右足を切断、しかし薬石効むなしく同11月5日逝去した。

益次郎は亡くなる前に「切断した右足は、恩師緒方洪庵先生の墓の脇に埋めて欲しい」と語ったので、その遺言どおり益次郎の「右足」は「龍海寺」の「緒方洪庵先生墓」の右横に埋められました。昭和14年11月5日の益次郎の命日に合せて、陸軍軍醫中将 飯島茂 撰文による墓碑が「阪大医学部 学友会」と「杏林温故会」の有志によって建てられました。

(※左に見えるのが『緒方洪庵先生之墓』、右が『大村兵部大輔(益次郎)埋腿骨之墓』であります)


【碑文】
大村兵部大輔以公事在于京都明治二年九月四日為兇徒所襲
創於前額右膝等数所。十月二日入大阪府病院加療廿七日行右
腿裁断術。断股于舊師緒方洪庵先生墓旁従大輔者望也惜哉
過不良十一月五日溘然逝矣。星霜己七十方。今、國家多事天下皆思
偉人大阪醫界有有志者胥謀建碑欲明遺蹟以表追慕之至情也
    昭和十四年十一月五日
         陸軍軍醫中将 飯島茂 撰並書
阪大醫學部 学友會
杏 林 温 故 會
         有志建之

「龍海寺」には、その他「緒方洪庵先生之墓」や「靖國地蔵尊」などがあります。


所在地:大阪府大阪市北区同心1丁目3番1号
最 寄:「龍海寺」境内西側(「緒方洪庵先生墓」北隣)
形 状:墓石
撰並書:陸軍軍醫中将 飯島茂
建立年:昭和14年11月5日
建碑者:阪大醫學部 学友會、杏林温故會 有志

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