東京都品川区「品川神社」裏の史跡『伯爵 板垣退助の墓所』参拝(皇紀2674.4.6撮影)


★東京都品川区「品川神社」裏の史跡『伯爵 板垣退助の墓所』へお参りました。(皇紀2674.4.6)

戊辰戦争の時、迅衝隊を率いて活躍した英雄、伯爵 板垣退助の墓所にお参りました。退助は正確には、薨去50年を機して「自由之神」として奉られたので、伯爵板垣退助源正形命の奥都城と呼ぶべきかもしれません。板垣の墓所は高知の薊野に、初代乾正信以降代々の墓所があり、そこには退助の分霊墓があります。

この「品川神社」裏の品川区指定の史跡になっている場所は、もと東海寺の塔頭「高源院」の瑩域であったものが、空襲で焼けて途中の土地が売却されたのですが、当初の入口の登り口から入れなくなった為に、「品川神社」裏を通って参拝が出来るようになっているのであります。

墓所は、以下の通り。
奥より

1)板垣退助
2)板垣絹子(板垣の四番目の正妻)…荒木伊三次の七女で、福岡孝弟養女
3)板垣正實(裏面に「伯爵板垣退助四男・正實(まさみ)之墓」と刻まれている)
4)板垣六一(裏面に「伯爵板垣退助五男・六一之墓」と刻まれている)
5)板垣清女(金春芸者で板垣に落籍され寵愛された女性「小清(こせい)」)
6)板垣武生(裏面に「板垣鉾太郎長男」と刻まれている)
7)乾庄右衛門信武(板垣退助の祖父)…参勤交代に随行し江戸で客死した人物(※高知の薊野にも墓がある)
8)青木瀧子(裏面に「伯爵板垣退助四男・正實(まさみ)乳母」と刻まれている)

その他、小川一眞(退助の三女「婉」の夫)の奉納した「手水鉢」や土佐桐の家紋の入った灯篭、大正9年5月上浣に鈴木惣五郎によって建碑された「秋の月…」で初まる句碑。薨去50年祭の際に建てられた「板垣死すとも自由は死せず」の碑などがあり、今も参詣する人が絶えません。

退助の長男鉾太郎の墓はここには無く、退助の家督を継いだ守正の墓は静岡に、守正の家督を継いだ弟の正貫の墓は都内の菩提寺にあります。

ところで、この東京の退助のお墓は、材質といい形といい、青山霊園の後藤象二郎の墓とそっくり。竹馬の友だったからでしょうかね(*^^*)

所在地:東京都品川区北品川3丁目7番15号(附近)
最 寄:「品川神社」本殿左奥

※「高源院」という表記は専ら東京の識者の書くものに多く、「興源院」という表記は高知の識者の書くものに多いが、おそらく「興源院」の表記は誤記(…の孫引き)であろうと思われる。

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