(左)縄文人が鯨面文身をした土偶・(右)ジャラワの男性(1930)
(※現在は刺青の習慣は廃れ、ボディペイントをするのみである)



★【黥面文身】について(平成24年(2012)6月4日)

前回、日本人の祖系である「Y染色体ハプログループ【D2】」遺伝子については南方説(従来の説)と北方説(アリゾナ大学ハマー教授)があるものの、【日本犬の遺伝子の追跡結果】や、倭人の【黥面文身】の習俗などを総合すると『南方説』の方が信憑性が高いのではないかと言う話を書きましたが、【黥面文身(鯨面文身)】について詳しく書いてみたいと思います。

『魏志倭人伝』に載せる、【黥面文身】の習俗は、昨今の縄文人の想像図ではあまり出てきていません。

正確に云うと『魏志倭人伝』の時代は弥生時代ですが、これが何故縄文時代まで遡りうる習俗だと分かるかと云うと、我々の住む日本列島から発掘される、縄文時代の土偶には、ハッキリ【黥面(顔面への刺青)】と、【文身(身体への刺青)】への刺青が描かれたものが多数発掘されているからです。

【黥面文身】の習俗があまりピックアップされないのは、現代人から見るとあまりにも(グロすぎて…)野蛮に見えるからなのでしょうか?

「倭人」に限らず、「アイスマン」や、世界中で発掘される古代人のミイラからはほぼ例外無く、「刺青」が彫られており、これこそ「野蛮」というよりも「倭人」の古さの証明では無いでしょうか?
(白川静の漢字の説解でも、古代に於ける呪術や文身の習俗は大きなキーポイントを示しており、支那ですらその例外では無いことが分かります)

「倭人」なるものを考える上で、重要な手掛りに考えて行きたいと思います。
まず『魏志倭人伝』による記述「男子無大小皆黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。夏后少康之子封於會稽、斷髮文身以避蛟龍之害。今、倭、水人好沈沒捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。計其道里、當在會稽、東冶之東」によれば、男子は(身分の)大小の区別なく、皆、面(かお)に【黥(いれずみ)】をし、身(からだ)にも、【文(いれずみ)】をしている。
古来から、その国の使者が中國に来ると、皆、自ら「大夫(位の高い者である)」と称していた。

(支那では)夏后小康(夏第六代中興の主)の子は、「会稽」に封ぜられた時に、髪を切っ身体に刺青をして蛟龍(サメ)の害を避けた。
今、倭の水人(海士)、好く海に潜って、魚や蛤(貝類)を漁る。
文身(いれずみ)をするのは、大魚(サメ)や水禽(ウミヘビ)からの被害を避ける為であったが、次第に本来の意味は薄れて、ただの装飾となった。居住地の習俗によって、文身の模様はそれぞれ異なり、左にしていたり、右にしていたり、大きかったったり小さかったり、身分の尊卑によっても違いがある。

「倭人」の居る地域は、だいたい会稽東治の東の方にある」とあります。
…要するに【倭人】というのは【海洋民族】で、海に潜って魚や貝を採っていた民族らしいのです。(日本人だけが、ワカメなどの海藻類を消化できる酵素を持っているという研究成果もかつて海洋民族であったことを物語るのでは無いでしょうか?)

これが、「出アフリカの時代からの習俗なのか?」温暖な海洋地域に居住してからこうなったのかはわかりませんが、「北方説」のように寒冷なシベリアを狩をしながら移動し、樺太から、北海道、本州へと移動してきた集団にはとうてい思えません。

海中でのサメを避ける為、顔面に刺青(ペイントだけだと、海に潜ると取れてしまうので…)するほど、日常的に海底に潜り、出アフリカからアラビア半島南端や、インド洋を通り、序々に日本列島まで移動してきた姿が想像出来ます。 天孫降臨の地とされるのは九州の南ですし、神武天皇の祖である、ホホデミの命は海神の娘から生まれたと、日本神話でも伝えています。 日本で、いつぐらいまで、【黥面(顔への刺青)】の習俗があったのでしょうか?『魏志倭人伝』の書かれた時代には、男子は全員していたそうですし、その後の埴輪などからも発見されている処を見ると、古墳時代初期ぐらいまでは、あったと思われます。
しかし、その後、生活様式が変化し、農耕生活に移行するにつれて、【黥面文身】の習俗は次第に無くなっていきます。

…さて、世界に目を向けると、近代まで【黥面文身】の習俗があったのは、トライバル柄の文様で知られる、ニュージーランドの【マオリ族】ですが、マオリ族の神話(伝承)によれば、「ニュージーランド(アオテアロアAotearoa「白く長い雲のたなびく地」)」に、航海者クペが「ハワイキ(常世国)」から来航し、再びハワイキに戻って人々にアオテアロアの存在を教え、それにより「大艦隊(Great Fleet)」と呼ばれる7艘のカヌーに乗って来航したとされている。

この「大艦隊」の7艘の名称は「アオテア(Aotea)」「アラワ(Arawa)」「クラハウポー(Kurahaup�)」「マタアツア(Mataatua)」「タイヌイ(Tainui)」「ターキチム(T�kitimu)」「トコマル(Tokomaru)」とされる。現在でもマオリの人々は、自分の家系が「大艦隊」のどのカヌーに乗って来たかを重視して、それぞれの集団を形成しているそうです。

まずこの「白く長い雲のたなびく地」というのが、「八雲立つ出雲の国」のような名前を連想させますし、【『ハワイキ』と呼ばれる伝説上の場所からやって来た】というのが、何んとも日本神話の【天下り(天孫降臨)】を意識させます。 日本神話の「天下り(あまくだり)」という言葉も「海下り(あまくだり=海の彼方からやって来た)」という説もあるぐらいです。

そして「ハワイキ」というのは、あの「ハワイ諸島」の語源ともなった伝説上の場所であり、その意味する処は「常世国」ということなのです。そして、マオリ族の神話によれば、【人は「ハワイキ(常世国)」からやって来て、死後はまた魂が「ハワイキ(常世国)」に還っていく】とのことらしいのです。

【マオリ族の社会身分は、この「大艦隊」のどのカヌーに乗って来たかで序列がつけられている】というのは、日本の古代で言うところの【『天下り(天孫降臨)』に追従してきた人々か、後に王化に属した種族の人かで序列がつけられている】というのと、大変良く似ていると思われます。

ちなみに、ニュージーランドのマオリ族やハワイ諸島の人々が実際にやって来た場所は「ポリネシア」の島からで、ハワイ人も、マオリ族も同じ【ポリネシア諸語】に属していてY染色体のハプログループは【C2】のようです。なので、「ポリネシア」の人々は互いに言語や神話が似ています。南洋で「オーストラリア」と「ニューギニア」だけが、ポッカリと「ポリネシア系」では無いらしいのですが、他は太平洋上の広範囲に渡って共通しており、しかも、近年【言語・DNAハプログループ・ピロリ菌の追跡・島ごとに居る鼠のDNA】などから、どの経路を辿って、島から島へ人類が移動していったかも完全に解明されています。そして、ハワイ人やマオリ族、イースター島の人々らも、祖系を辿っていくと、なんと遠く離れた台湾に行きつくそうです。
さらに、ビクトリア大学生物科学科のジェフ·チェンバース博士は、マオリ族のアルコール変異遺伝子から、台湾の人々と一致する同じ遺伝子ものを見つけたそうです。
だから、ポリネシアの人々の元の故郷は、実際に台湾であったことが証明されたそうです。

即ちDNA解析の結果は、今から6000年前にアジア大陸から【台湾】に移動した小グループが、5200年前に【台湾】を出発点として「フィリピン」へ南下し、東南アジアの島嶼で約1000年滞留し、更にその後の1000年かけて、南東の島々へ移動して「メラネシア」のフィージーから、サモア、トンガなどの「ポリネシア」に至り、また約1000年留まった後、 ポリネシアの島々を移動してきたことが分かるとのことです。
ちなみに、ニュージーランドへ、マオリ族が移住したのは今から700〜800年前とのことだそうです。

ハプログループ【C2】と【D2】の関係が確実に証明されれば、日本人の源流グループが【台湾から北上】したのか、アジア大陸の【江南付近から、船出して九州に上陸したのか】がハッキリするのではないでしょうかね。

(※マオリ族の歴史についてはこちらを参照)

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