★明治天皇の御眞影(平成23.8.1初稿-平成27.2.11補記-平成29.12.8改訂)

明治天皇の御眞影としては、明治610月、内田九一によつて謹寫されたものが頗る著名でありますが、謹んでその御尊顔を拝し奉りますと、所謂「繩文顔・彌生顔」と云はれてをります範疇から類推しますれば、明らかに繩文の嫡系たる御龍顔であります。之は、明治・大正の御皇族・宮家の御寫真を拝見いたしましても全く同様なのであります。幕末に日本を訪れたノーマン・マクレオドと云ふ欧米人(スコツトランド人)は、皇族・伏見宮殿下に拝謁し、「皇室は中東系のお顔をしてをられる」との感想を述べたさうであります。

一方、「引き目鉤鼻」として知られる色白の所謂「公家顔」と云はれる「顔」は彌生顔であり、之は「公家」に多い中臣・藤原氏(おそらくO1b2a1a1)系統のお「顔」なのでありませう。

御皇室のハプログループが世間で云はれてゐるやふにD1b1a2(D-IMS-JST022457)(←詳細はリンク先の論文を参照されたし)系統であるならば、その昔、繩文人・彌生人は大八嶋にあつて互いに争ふことなく共存共榮の道を撰び、豊葦原の瑞穂の國へと發展させたのであらうと云ふ歴史が見へてくるのであります。そして、天地開闢以來、皇胤より臣籍降下せられた氏族は五十橿八桑枝の如く立ち榮えしめて、現在日本の人口の約40%を擁するに至つた経緯が類推されるのであります。この約40%の人々は約5万年前、遥か西のアフリカの地に居た頃に起きた変異の痕跡、即ち今日、遺傳學者たちにYapと云はしめられるY染色體の長腕部分に300?基からなるAlu配列の挿入多型を、約2075世代に渡って聯綿と父祖傳來、引き継ひで今に至る譯なのであります。

即ち、上記の英國人の論文によれば、「日本の皇室は、亜細亜で最も古い民(先住民族)である」という結論に達してゐるやうなのであります。

皇位の正統性を徴すものとして三種の神器(「八尺瓊勾玉」・「天叢雲剣(草薙剣)」・「八咫鏡」)と呼ばれるものがあり、各々宮中・熱田神宮・伊勢神宮にお奉りされてゐるが、之は元々それぞれ、其の出自を違にしたD1b・O1b2a1a1・O2の3つの民族の統合の象徴であるのかもしれないと思へるのである。剣・鏡は金属鋳造の技術が確立して以降の産物であらうと考えられるので最も古いのは「八尺瓊勾玉」であらう。そして、これは今も最も嚴重に宮中に實物が収められてゐるのであります。

(※平成27.2.11Y染色體單倍群の呼称變更に伴ふ部分を補記、平成29.12.8系統呼称改訂)

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