大阪市住之江区の「霰松原公園」にある『忠魂之碑・至誠』(皇紀2673.9.26撮影)


★大阪市住之江区の「霰松原公園」にある『忠魂之碑・至誠』へお参りました。(皇紀2673.9.26)

大阪市住之江区「霰松原公園」の「旧安立町役場跡碑」の横に戦歿者をお奉りした一角があります。地元の方にお伺いした処、現在は安立町の戦歿者遺族会の方々が管理をされていらっしゃるそうです。真横にはお稲荷様の祠が3社並んでおりますが、こちらは町内会が管理されているとのこと。

日露戦争で従軍された方の中で散華された方は、和泉庄太郎命、川崎藤治郎命、橋本常吉命、餅新太郎命の4柱で、それ以外の方は、傷痍された方はおられるにせよ、地元にご無事に凱旋されたようです。よって、後方にある「日露戦役従軍者紀念碑」は、戦勝を奉祝する意味あいで建碑されて居る為、後に日露戦争で散華された方を慰霊する為に、この『忠魂之碑』が建てられたとのことです。

【碑陰】
 明治三十七八年戦役戦死者名義
 陸軍●●兵勲八等功●級 和泉庄太郎
     同       川崎藤治郎
     同       橋本常吉
     同       餅 新太郎


この碑の碑陰は風雪による磨耗により、階級の部分が判読しづらくなっておりますが、「和泉庄太郎命」の上部に「勲八等」の文字が見えるので、恐らく「陸軍●●兵勲八等功七級」などと彫られていたのではないかと思います。そして、他の3柱の方々の上部には「同」の字が見れるので、4柱は同じ階級の方々ではないかと思われます。

現在は、玉垣の一区画に『明治二十七八年戦役従軍者紀念碑』、『日露戦役従軍者紀念碑』、『忠魂之碑』、『昭和戦役英霊之碑』が並んでおりますが、元々はいろんな場所にあったものをこの一角に集めてお奉りしたのだそうで、近くには楠のご神木が植えられておりました。


所在地:大阪府大阪市住之江区安立2丁目11番地
最 寄:「霰松原公園」内(「旧安立町役場跡碑」左横)
形 状:石碑型
揮毫者:大阪市長 中井光次
建碑者:帝国在郷軍人会安立分会

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