大阪 東淀川区上新庄の「春日神社」にある『日露戦役紀念碑』(皇紀2674.9.23撮影)


★大阪 東淀川区上新庄の「春日神社」にある『日露戦役紀念碑』へお参りました。(皇紀2674.9.23)

大阪市東淀川区上新庄の「春日神社」にある『日露戦役紀念碑』です。柵と施錠があり、中には入れませんでしたが、柵越しに粘ること1時間以上かけて目を凝らし碑文の判読を行いました。(※柵内に入った訳では無いので、多少判読に間違いがあるかもしれません) きちんと清掃され静謐に管理されておりました。

碑陰(上段)「大阪府西成郡新庄村大字上新庄日露役従軍者廿五名謹●行●粛々而発遂転戦各処皆能奮闘勇進不顧一身。而横屍於原野者僅二人。他皆凱旋焉。今茲当時村長塩山武治郎氏進曰予蒙特旨之恩典、不忍私消願捐以補衆望。衆皆雀躍資金立成乃建貞石於春日祠前勒忠勇兵士之名以酬神恩、且告後世子孫予為之銘曰、東海別春、誰知厥眞、太古神在、護忠勇人。明治41年10月1日 黙化庵田部 密撰」

碑陰(下段)「軍人名録、明治22年兵、西田吉治郎、阪本米蔵。同27年兵、阪口宗吉。同31年兵、山本辨蔵、山野音松、(戦死)山本寅吉。同33年兵、中野伊三郎、西本嘉蔵、倉田常吉。同34年兵、(病死)村山末吉。同35年兵、安井菊松、阪本為吉、西尾由松、中西泰一郎、阪口末吉。同36年兵、岡本源治郎、北田亀吉、田中弥三郎、上田富蔵、梅谷卯吉。同37年兵、田中吉蔵、島田福松、宮田福次郎、村山富吉、木曾松太郎。世話人、田中九左衛門、安井三次郎、植原廣吉、石原種蔵。大字上新庄有志建之」

脇碑「曩に日露の大戦起るや、皇軍善戦、遂に之を満州の野に破り講和成りて兵を旅すや、当時上新庄村有志は、郷土出身従軍勇士の戦功を頌せんとし、即ち、此の碑を建て陣歿勇士、並に凱旋勇士の名を刻して永遠に大国難を追意し、且つ戦捷の記念と為す。明治43年帝國在郷軍人会新庄中島分会の組織成り、年と共に穏健なる発進を見るや、有志ら此の碑の管理と祭祀を挙げて分会に寄託せり。爾来、春風秋雨幾星霜、石傾き柵壊れて危険の迫ることくし、即ち日露戦役30周年を迎えし。村内有志の浄財を集めて之れか修築を加へ、且つ新たに下新庄小松江口各郷出身従軍勇士の名を刻し倶に永くこの功績を追慕すと云爾。昭和十五年十二月、帝國在郷軍人会新庄中島分会」


所在地:大阪府大阪市東淀川区上新庄2丁目20番15号
最 寄:「春日神社」内鳥居をくぐって左側
形 状:石碑型
揮毫者:陸軍少将 仁田原重行
建立年:明治41年10月1日
撰 文:田部黙化庵
建碑者:上新庄村長 塩山武治郎

脇 碑
建立年:昭和15年12月
建碑者:帝國在郷軍人会新庄中島分会
碑 陰:下新庄出身の英霊を合祀
特記事項:柵あり・施錠あり(※目を凝らせば碑文の判読可)
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