京都 霊山護國神社『陸軍特別操縦見習士官之碑』(皇紀2672.1.15撮影)


★京都 霊山護國神社『陸軍特別操縦見習士官之碑』参拝(皇紀2672.1.15)

【特操の碑】(碑文より)
第二次世界大戦が転機をむかえた昭和18年、日本の戦況は急に悪化し、存亡をかけた総力戦となる。この年10月、2,500余の若人は学業をなげうち陸軍特別操縦見習士官として、祖国の危機に立ち上った。二期、三期、四期と続くペンを操縦桿にかえた学鷲は、懐疑思索を超え、肉親、友への愛情を断ち、ひたすら民族の栄光と世界の平和をめざして、死中に生を求めようとした。

悪条件のもと夜を日についだ猛訓練を行ない学鷲は遠く大陸、赤道をこえて雄飛し、あまたの戦友は、空中戦に斃れ、また特攻の主力となって自爆。沖縄・本土の護りに殉じたのであった。

無名の栄誉は歴史に刻まれたが、愛惜と悲しみは尽きない。

平和は血と涙により築かれた。

われらは、心から祖国を愛し、平和を願う。

ここに兄等の栄誉を讃え、その霊を慰むるとともに、特操の果たした役割を永く後世に伝えんとするものである。

昭和46年3月21日建之
特操会

この碑の左横には戦地ゆかりの『ラバウルの石』が奉納されております。

(写真上)『陸軍特別操縦見習士官之碑』
(写真下)『特操碑の由来』
所在地:京都府京都市東山区清閑寺霊山町1番地

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