大阪市立墨江小学校の『忠魂碑』(皇紀2673.8.15撮影)


★大阪市立墨江小学校の『忠魂碑』にお参りに行きました。 (皇紀2673.8.15)

小学校の敷地内にある為、許可を得て忠魂碑にお参りいたしました。

明治10年4月8日肥後国水口村で戦死した南野佐吉命を筆頭に御祭神の芳名が連ねられた碑が忠魂碑の背後にありとても丁重にお奉りされておりました。

墨江小学校は熊野街道に面し、また津守廃寺の史蹟の上に建っているという点でも歴史の香りを感じれる小学校であります。

さて、この大正7年に建立された忠魂碑は校庭内の西側にあり道路に面した一角に奉られているので校外から遥拝することが可能ですが、校外から見ることが出来ない碑陰(裏面)に、非常に流麗な漢文の銘文が刻まれていたので写して帰りました。

【碑文】
 「是墨江村有志者、所建祭郷人靖獻致
  國者之忠魂也。古人曰非忠無國緩急
  之日非有此人其能國乎今也。
  皇謨恢廓雍化、維熈忠魂凝精華自
  見豈可不思其所由乎是此碑所以建
  也。死而爲護國之魂長享郷人之祭可
  謂亦榮矣不唯慰忠魂實以勸後人將
  來繼今者莫讓美於前人。

  大正戊午季夏 藤澤南岳 撰」

碑文の最後まで読んで高松藩に仕えた儒者の藤沢南岳の撰文であることが分かりました。藤沢南岳と言えば、幕末高松藩の藩論が佐幕よりであったのを、一夜にして説き伏せて勤皇に変えさせたという逸話が有名ですね。お墓も大阪市中央区にあるそうです。南岳は大正9年に亡っているので、死の2年前に撰じた文であり、藤沢南岳の撰文の碑としても大変価値のあるものでありました(*^^)b

忠魂碑の傍らには「日華支事変戦死者名碑」や「紀元二千六百年記念碑」、「太平洋戦争物故者之碑」などがありました。

所在地:大阪府大阪市住吉区墨江2丁目3番46号
最寄:「大阪市立墨江小学校」内(校外から遥拝可)
形状:石碑型(平石)
年代:大正7年夏
揮毫;陸軍大将 福島安正
碑陰:藤澤南岳 撰文
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