大阪平野(大念佛寺)の『三勇士精忠塔』(皇紀2673.8.2撮影)
★大阪平野(大念佛寺)の『三勇士精忠塔』に参拝しました。(皇紀2673.8.2)
英霊をお奉りした忠魂塔の傍らにある『三勇士精忠塔』です。碑陰には教科書にも取り上げられて著名な「肉弾三勇士」の活躍した様子が流麗な漢文で書かれてありました。
【碑文】
江下武二、作江伊之助、北川丞、三工兵伍長属
久留米師団従膺懲師於上海本年二月二十二日攻撃
廟行鎮也。敵張鉄條網通電流防備堅牢不復可抜
也。於是使工兵破壊之。乃三伍長擁爆薬筒而点火
突進與身爆裂闢鉄條網輙我軍乗之得占領敵陣
矣。其壮烈也。有誰聞之、不感泣奮起者乎哉。
眞可謂軍神之権化矣。于茲大阪融通婦人会
別建精忠塔於忠魂塔側以永仰慕英霊銘曰
軍神哉三勇士 垂典模警世道
燦餘榮及恃怗 忠孝哉三勇士
維時昭和七年五月十五日
勲四等 乾奈良吉撰
山崎仁譲書
【拙抄訳】
江下武二、作江伊之助、北川丞らの三工兵伍長は久留米師団に属し、上海の夷狄を征伐する途中の本年2月22日に「廟行鎮(地名)」を攻撃しました。
敵は鉄條網を張り巡らせ高圧電流を流して堅牢な防備柵を築いて、突破することが出来ませんでした。
…そこで、皇軍は工兵をしてこれを破壊させました。どうしたかと言いますと、点火した爆薬筒を3名の伍長が抱き抱えて突進して自爆し、鉄條網を闢(ひら)いてくれたお蔭で皇軍は輙(たやす)くこれを乗り越えて敵陣を占領することが出来たのです。
その壮烈な彼らの功績は、誰がこれを聞いても感激しない者は無いでしょう。これはまさに軍神の生まれ代わりとでも賞すべきでしょうか。
そういう訳で大阪融通婦人会は、「忠魂塔」の傍らに「精忠塔」を建て、永く英霊を追慕します。讃えて云えば、
軍神かな三勇士 垂典模警世道
燦餘榮及恃怗 忠孝かな三勇士
昭和7年5月15日建立
勲四等 乾奈良吉が撰じ、
山崎仁譲が書す。
東京芝(青松寺)にあった『肉弾三勇士銅像』の絵葉書(Wikipedia著作権満了分より)
所在地:大阪府大阪市平野区平野上町1丁目7番26号
最 寄:「大念佛寺」境内
形 状:石碑型(平石)
揮 毫:山主大僧正
建立年:昭和7年5月15日
碑 陰:勲四等 乾奈良吉撰文
建碑者:大阪融通婦人会
■HOMEへ