大阪池田『駒の森 十二神社』の防空壕(皇紀2671.8.13撮影)


★大阪池田『駒の森 十二神社』の防空壕(皇紀2671.8.13)

8月お盆の帰省途中、実家近くの神社に寄りました。この神社の内部は防空壕になってます。戦時中の事を子供たちに教える為に、わざわざ寄り道しました。

(写真左)ここが防空壕。(写真右)これが案内版です。今は、中は埋められてます。この神社の防空壕のおかげで、戦時中、多くの人の命が助かりました。


【十二神社境内 防空壕跡】(※現地案内板より)
この地域は大阪第二飛行場(現 大阪国際空港)に近く、太平洋戦争の激化にともない空襲の可能性が強くなり、この防空壕は地域住民の避難場所として、旧北今在家町、北轟木町、西市場町の人々によって、昭和18年につくられました。

防空壕の大きさは、おおよそ長さ10m、幅3mから4m、高さ2mのコンクリート製で、30人程度の人が避難出来る大規模なものでした。当時は自宅の庭や床下などにも防空壕がつくられておりましたが、今はほとんど残っておりません。

あの悲惨な戦争を後世に伝えるため、戦後50周年を記念してこの「戦争の傷あと」碑を設置するものです。
(※この防空壕は、危険防止のため内部は埋められております)

1995年8月 大阪府・池田市


この神社の正式名称は『駒の森 十二神社』で「十二神社」というのは、熊野三山の十二所権現にまつわるものが多いそうなんですが、ここの場合は「天神七代・地神五代を併せて祭る」とあるので「7+5」で『十二の宮』とのことです。

詳しく言うと御祭神は「天神七代の神々」と「 地神五代の神々」なので「国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊・泥土煮尊・沙土煮尊・大戸之道尊・大苫辺尊・面足尊・惶根尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊 」と「天照大神・天忍穂耳尊・瓊々杵尊・彦火火出見尊・鵜葺草葺不合尊」とのこと要するに、『日本書紀』に所載の天地開闢以降から神武天皇に至る「父祖神」をご奉祭したものとのことでした。

また『駒の森』とは、西国街道に面したこの社を、参勤交代で通過する大名行列がここで馬を休めたことから『駒の森』とよばれたらしいです。(「木の下陰に駒とめて…」という感じなんでしょうか)

所在地:大阪府池田市豊島南1丁目2番9号
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